宗教

佛教大学通信 教科教育法宗教1、第1設題(ゴータマ・ブッダの説法と実践

佛教大学通信、「教科教育法宗教1」、第1設題(ゴータマ・ブッダの説法と実践とを宗教教育という視点より論述せよ。)のB評価リポートと第2設題(私立学校における宗教教育のあり方について論述せよ。)のA評価リポートのセットです。
採点者の所見は、第1設題「P.1の様々な断定表現は何を根拠に下された結論なのでしょうか?」、第2設題「教典の再解釈論は私も同意します。」でした。

第1設題 ゴータマ・ブッダの説法と実践とを宗教教育という視点より論述せよ。
ゴータマ・ブッダの説法と実践とを宗教教育という視点から見るにあたり、先ず「宗教教育とは何か」を考えておく。
宗教と教育はある意味で、相互に反義語であり、反対方向の作用を持つものである。すなわち、宗教的真理は、その啓示によるものであり、教育のように人間に生来的に存在している感情や知性や徳性を引き出し、引き延ばし、養うことによって、人間形成や人間の自己実現を図るということとは、根本的に異質のものだからである。
しかし、如何なる宗教もその時代の文化的境位を離れて成立しているわけではなく、それゆえに宗教は人間存在の究極的関心事に基づく文化の総体であると理解することが出来る。ティリッヒによると、文化の総体である宗教は本質であり、教育を含む文化的営みはその形式であるということになる。つまり、宗教は教育という文化的作用によって伝達されなければならないということになるのである。
欧米における宗教教育は、宗教への導入の教育という意味が強いが、東洋の宗教教育は、欧米のそれと異なり、宗教的情操教育の面が強い。これは、慈悲、渇仰、帰依.. .. .. もっと詳しく見る



道徳教育の基礎 (佛教大学教育学叢書)
道徳教育の基礎 (佛教大学教育学叢書)



佛教大学、レポート、Z1301、教科教育法宗教1、Z0347、

佛教大学  R0715-2 平安仏教

平安時代後期仏教の特質を論ぜよ
1)源信浄土教
 平安時代に広まった仏教は浄土教であり、その隆盛は十世紀にひとつのピークを迎える。民間布教に邁進し「市聖」と呼ばれた空也と、天台浄土教の教学と実践を総合的かつ体系的にまとめ上げた源信によって、阿弥陀如来の名を口に称える口称、阿弥陀や極楽のさまを心に想念する観想を問わず、念仏による極楽往生を願う人々がこの時期爆発的に増えた。
特に、比叡山で天台教学を学んだ源信は、念仏による救いを模索する同信同行の人々のために、正しい念仏のあり方を説き明かそうと『往生要集』を執筆した。これは、序文のあと、大文第一厭離穢土、第二欣求浄土、第三極楽の証拠、第四正修念仏、第五助念の方法、第六別時念仏、第七念仏の利益、第八念仏の証拠、第九、往生の諸行、第十問答料簡という、整然とした構成をとっている。源信によると正しく念仏を修することは「上求菩提、下化衆生」の大乗菩薩道実践の精神の発露であり、源信浄土教が単なる事故往生の希求ではなく「一切衆生みなともに仏道を成せん」という利他行実践にほかならなかったことを示している。
この『往生要集』の念仏観は、あくまで観想が主で、称.. . . ..
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奈良・平安仏教の展開


佛教大学  R0715-2 平安仏教  レポート・論文

佛教大学 R0715-1 奈良仏教 

佛教大学 R0715-1 奈良仏教  奈良時代の仏教の特質を論ぜよ

1)鎮護国家としての仏教の発展

 仏教が日本に伝来したのは六世紀半ば、百済からと言われている。当時の日本は倭と呼ばれ畿内を中心に大和政権とよばれる国家的なものが存在していた。しかし、当時の欽明天皇は仏教を厚く信仰したわけではなかった。六世紀後半に即位する推古天皇と彼女を支える聖徳太子が遣隋使などを通じて国力を増強する際に仏教を保護し、寺院の建立を促していくことがきっかけで、日本にも仏教が広がっていく。それでも蘇我氏をはじめとする豪族が地方での実権を握り、私寺を建立していた。大化の改新により蘇我氏の独裁が終わり、天智天皇が即位する。その後を受けた天武天皇は律令制度の構築を始める。それまで豪族が支配していた土地や人民を公のものとし、公地公民制を進めた。公民を戸籍に登録し口分田を与え、税を納めさせ、地方に国司や軍事を派遣し、天皇を頂点とする中央集権国家を目指した。このときに、全国の私寺を統括する国家の寺である大官大寺建立した。天武十四年(685)に「諸国に、家毎に、仏舎をつくり、すなわち仏像および経を置き、礼拝供養せよ」との詔を出し、全国に造仏をすすめた。その後.. . ..
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仏教の形成と展開



R0715-1 奈良仏教.doc
佛教大学 R0715-1 奈良仏教 奈良時代の仏教の特質 レポート